子どもの海外留学でよく目にする“バイリンガル”というキャッチフレーズ。
子どもを“バイリンガルにしよう”、さらに“トライリンガルもいけるかも!”のような軽いノリで書かれているのをよく目にしますが、深く考えずにその発想をそのまま鵜呑みにされない方が良いと思います。
このようなことを書くこと自体、恥ずかしく、躊躇しますが、軽いノリで“子どもをバイリンガルに!”と言われていることに非常に違和感を感じるため、あえて書かせていただければと思います。
私が話し、読み書きする英語、そして、中国語に皆さん驚かれます。アメリカと中国に長く住みましたので、当然といえば、当然です。英語だけで仕事して、生活しろと言われてもできます。中国語でも同じくできます。
しかし、私の日本語を10とするのであれば、英語は6-7程度、中国語は4程度だと思います。
マレーシアの華僑は3ヵ国語できる人が多いですが、その “ できる ” にはレベルがあります。
マレーシアで留学のサポートしている人の語学レベルが高くなければ、
語学レベルの判定をしようがありません。
学校の良し悪しをしっかり把握しようとすると、
学校のカリキュラム内容、授業内容、先生の質の把握、他の親との会話など多くの情報を必要とします。
私はマレー語ができませんので、
目の前にいるマレーシア人のマレー語がどれだけできるのか判定のしようがありません。
(ペラペラ話していても、文法が間違っていたり、場面に応じて丁寧な言葉使いができなかったり、
表現力や単語力などが全くないかもしれません。)
採用の際の履歴書にそれぞれの語学レベルを記述する欄があり、それを拝見し、そして、インタビューすると、語学が優秀な人の場合、
中国語(母国語) --- 10
英語 --- 8から9程度
マレー語 --- 1から6程度(非常にバラつきがあります)
同じく華僑の人で、しっかりとした大学卒業生の場合、
中国語(母国語) --- 10
英語 --- 4から7
マレー語 --- 0から3(ジョホールバルの華僑はマレー語はほぼ使っていない)
という印象を受けました。
同じマレーシア人の華僑でも、小学校から高校まで華僑学校で学んだため、中国語しか話せず、
英語とマレー語がほとんど話せない人も少なくありません。
マレー人の方であれば、語学が優秀な人の場合、
マレー語(母国語) --- 10
英語 --- 8から9
そして、マレー人の大卒の人の英語は5程度のような印象です。
話すことはできますが、その場でショートエッセイを書いてもらうと文法のミスが多いので、学校でしっかり文法の勉強をしていないのかな、と勝手な想像をしています。
ここでお伝えしたいことは、第二言語、第三言語をあれだけ流暢に話しているマレーシア人でさえも、必ず強い母国語があるということです。
母国語こそががいわゆる思考のバックボーンであり、
強い母国語を作らないといけない理由がここにあります。
母国語のレベル以上に第二言語は行きません。それだけでなく、読むスピード、瞬時に理解していく力、聞き取りの正確性(ニュアンスも含めて)、論理的思考、コミュニケーション力などは言語レベルに強く影響されます。
論理的な思考は、言葉を用いて論理を1つ1つ組み立てていくはずです。瞬時に物事を把握し、早く、正確に行わなければなりません。車に例えると、最高の馬力が出るエンジンがメインにあり、サブとして他にもある、というイメージです。
“バイリンガル、トライリンガルに!”という軽いノリで、思考力の源である第一言語が弱くなってしまったら、どうなりますか?
“子どもが英語を話すようになりました!”というエピソードに惑わされて、それ以上に大切な“読み書き、そろばん”という基礎を作るものを忘れてはいけないと思います。基礎が小さいと、上に建てられるものも小さくなります。
あせらず、しっかりと計画を立てる必要があります。
” 私は`ブロークン・イングリシュですから!通じれば良いんです” という人がいますが、
日本在住の外国人が ” ワタシ イマ ショッピングモール キタ。 アナタ ドコ? ”
と話しているのと同じです。
その人に、海外のグローバル展開している企業が ” あなたは日本語話せるから、日本市場の責任者にしよう ” とオファーを出すと思いますか?
外国人であっても、
しっかりとした日本語を話し、教養があり、場面で言葉を使い分けることができる、
いわゆる ” どこに出しても恥ずかしくない人 ” が望ましいと思いませんか?
そのレベルに到達してこそ ”バイリンガル” であり、どこでも必要とされる人材ではないでしょうか?
理想形がしっかりしていないと実行する内容もぶれてしまいます。
では、母国語がそれほど重要であれば、なぜ子どもの頃に海外に行かせるのか。
そこに言語習得の“9歳の壁”、そして、バイリンガルではなくて“バイカルチャー”という考え方があり、長くなりますので、これにつきましては、別のコラムで書きたいと思います(ご興味のある方は、ご自身でも、ぜひ一度調べてください)。